アルダのダ~2ndシーズン~

駄文を連ねることしかできない

20170529の日記

今日はとにかく眠った日だった。ここ数日はとにかく眠い。たぶん体が生きることを拒否している。何もしたくない。二度と目覚めたくない。このまま眠りについたまま二度と目覚めなかったらどんなにいいことか。苦しみなく死んでしまいたい。

 

午前中にバタイユのランス大聖堂を読んだ。バタイユほどの人でも黒歴史みたいな文章を書くのだなぁと感慨深かった。でもその後にきちんとそれを埋め合わせる文章をガンガン書いていくのは驚くべき気力の持ち主だと思う。ボクだったら自分の書いたしょうもない文章にまともに反することなんてせずに、それを無かったことにして全然違う話を書くだろう。そうは言っても馬鹿なのでバタイユの文章のほとんどはよくわかりません。君がいなくちゃダメなんだとサクラダリセットに出てきたガラス玉は、ボクは眼球だと思うのですがどうなのでしょうか。

 

その後、日ユ同祖論の本を読んだ。宗教性はあんまり関係無いなぁ。頑なに旧約聖書をタナハと呼んだり、十戒の第1戒を私は神である。から始めたりするあたり、きちんとユダヤ文化に対する理解はあるんだなと思った。そこまでわかっている人がなんで神輿と契約の箱は似てる!で終わらせてしまうんだ。どうして似てるのかを問うところまでやるのが誠実な論じ方じゃないんだろうか。神輿で言うなら古代エジプトの神託行事も神の形を型どった神輿の傾く向きとかで決めていた気がする。普遍文化なのでは。

 

その後に講義に出て、実写版orangeを見た。アニメ版に比べると尺は削られているし、須和の翔を生かすと好きな人と結婚する未来を失ってしまうという葛藤があまり描かれないなど要素も削られていた。その分、翔の救済物語としては筋がハッキリしていたので分かりやすかった。過去に手紙を送るところでも、原作通り、海にはバミューダトライアングルのような時間の流れが狂った場所があるから、海に流せば過去に届くかもしれないと超絶理論をかますより、土に埋めた手紙が何故か過去に届くという説明不足なくらいの描写でちょうどいいと感じた。奇跡が起きるのに理屈はいらない。意志だけあればいいんだよ。後、漫画の実写化はとやかく言われることが多いけれど、登場人物が感情を露わにする場面できちんと俳優が顔を崩せるという点では確かなメリットになりうると思う。アニメで適切に顔を崩すよりは、人間の役者が適切に顔を崩した方がコストが低い。それが活きるかどうかは作品によるとは思うけど。翔に伝言!は実写版でもカットされていません。

そんなこんなでもう寝る時間です。明日が来なければいいのに。生きる意味がわからない。ボクが笑って生きていいはずが無い。幸せになりたい。orangeもガーリッシュナンバーも根底にあるのはこの感情です。大事にして生きましょう。おやすみなさい。